アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『キャプテン・マーベル』感想─ヒーローとは何か、ただの人間から描く傑作オリジン。

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

アベンジャーズ』もそろそろ終わりですが、僕は慌てて『キャプテン・マーベル』を観に行きました。割と悪評を聞いていたので、正直流すのも、アリ、かな……と、危うく観ずに『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観るところでしたが、おそらく観てなかったら意味不明でしたね、これ。そういう意味でも観て良かったのですが、単純に映画の出来が良かったのも大満足です。

※ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本編はアベンジャーズ設立前の1995年、若かりしニック・フューリーがシールドのエージェントとして活躍してる時代です。

ところで、宣伝等は見ない主義なのですが、やはり映画館にいると否が応でも見せられてしまうので、もうそこは割り切っているのですが、宣伝等で事前に受けた印象とは全く違うストーリーが展開されて、その点でまず驚きましたね。てっきり地球に落ちてきた記憶喪失の宇宙人が、自分を取り戻す、みたいな話だと思ったのですが、実際にはもう少し入り組んだ話でした。

そもそも始まりの時点から主人公、ヴァースは異星にいたり、初めから記憶喪失だったりと、全然想像していたものと違うんですよね。まあこれに関しては嬉しい誤算として受け止めています。

 

ストーリーは、まあ、良く言えば熱い、悪く言えばありきたりなヒーローのオリジン、と言った趣です。が、そこはマーベル、映画的センスと映像技術で非常に上手く魅せてきます。

本作のキャプテンマーベルは元々地球人であり、紆余曲折を経て本作のヴィラン、クリー人になった、という経緯の持ち主です。

そして本作のテーマは、まあ人の悪い人に言わせればありきたりなテーマになる(でもありきたりどころではないですね、たしかに)のでしょうが、ヒーローとしての在り方、という話です。

本作で強調されているのが、「ただの人間」、というワードです。それはニックを調べたクリー人のセリフからも明らかですし、インテリジェンスがキャロルに言ったセリフからも明らかです。

が、たしかにただの人間には、なんの力もないかもしれない。愚かで、非力かもしれない。しかし、人間の、ひいてはヒーローに必要なのは、圧倒的で大きな力ではなく、あくまでもマン、人間の部分、つまりは心の在り方、ということなんですね。それをこの作品は、あえて何も語らずに、映像として見せることでこちらに有無を言わさずわからせる、という力強い表現を繰り出してきたわけです。その象徴が、PV等でも見ることのできるあの立ち上がるシーンです。

 

それはそれとして、パワーがあればいいし、強いヒーローが活躍してれば非常に嬉しいし楽しいんですよね。ここら辺のバランス感覚が非常に良い。溜めて溜めて、という直球の作劇で披露されるキャロルの活躍はとてもスカッとします。やっぱりヒーローが強いと嬉しいんですよ。

キャロルが感情に任せて大暴れすることで、人間の強い部分が逆説的に表現されているのも高得点なポイントです。

 

クリー人とスクラルの敵味方の構造が逆転する演出も非常に鮮やかですし、僕はかなりびっくりしました。いや、あの人は普通にまあ……とか思ってたらみんなまとめて敵とは思わないじゃないすか。

クリー人の目的、本編では断片的に語られたのみですが、まあ所謂ナチド的な選民思想に基づく侵略戦争なのかなと。一方的な善意を振りかざしているだけにタチが悪い。まあちゃんと悪いことしてるって意識はあるっぽいですけどね。ヨン・ロッグのやられ様はガチで劇場内で笑いが巻き起こるぐらいに面白かったです。

 

あとなんかニック・フューリーの眼帯問題、チラッとTwitterで見た覚えがあるので言及しておきますが、あれはちゃんと伏線も貼ってたしいいと思いますね。メガネがなくても見えるけど、かけてた方がインテリっぽいしボスっぽいんですよ。眼帯もそれと同じです。しかも、勝手に箔をつけてくれるんだから扱いやすいことこの上ない。そういう意味で非常に好きですね。フューリー、別に善人ではないので。

 

まあ近年女性をメインにする上では避けられない、女性差別問題もきっちり取り扱ってましたし(フレーバー以上のものではないですが)、グースも非常に可愛かったですし、個人的には近年のMCUではトップクラスで面白かった作品ですね。アクションの質がいいのがとても良い。

 

アベンジャーズ/エンドゲーム』、果たしてどうなるのか、楽しみですね……。

 

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)