アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

ティピカルな分類に対して怒りが発生しているのでお気持ち長文を書くことにした回。

深い意味ねぇよ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

なんかベストマッチな書籍見つかった、別にこれを読んだわけではないけど……。

ブログの幅を厚くするために、書いたところで全く読まれないお気持ち長文系の記事でも久方ぶりに書いてみようかと。いや、本当に読まれないものですね、こういうお気持ち長文。ある程度のアルファブロガーにならないと全く意味が無い。あとはどれだけ普遍性と共感生を文章に込められるかか。まあその話はどうでもいいですね。

あ、一応言っておきますけど、この文章はあくまでも僕の人生経験に基づく偏見の入り混じったものであって、一般論ではないのであしからず。

 

ティピカルな分類、すなわち典型類に当てはめて人間性とか個性とかを分類する、という行為には、楽さと無責任さがつきまといます。

もう既にある例に、その人物の思考と志向と嗜好を無理やり当てはめれば、その人物に対する対応や気遣いなどを自分で考える必要がないからですね。これは所謂常識の枷から外れたところにいる人間により効果的なライフハックだと思っています。何度も言いますが、いちいち考えなくていい、というのは意外と大きなメリットです。普通の人は(普通が何かは、知りませんが……)そんなこと深く考えませんが。

 

で、ティピカルな分類。近年は多様性やら個性やらがやたらと尊重……というか、尊重しないとボコボコにされる時代がやってきました。迂闊に×××××××××××××××馬鹿にすると社会的に死ぬことからそれは分かりきっていると思いますが。伏せ字に何が入るかは各々自分で想像してください、それがあなたの悪意の象徴です。それと向き合っていくのが人生なんじゃないんでしょうか、知りませんが。

まあそれ自体はなんら問題無いなんですよ。多様性とか個性とかが無視されていた過去の時代に生きていた人達がどう思っていたかはともかくとして、少なくとも今の時代の人間の論理に個人を殺す論理は当てはまりませんからね。個ではなく集団を重んじるのは軍隊だけでいいんですよ、そういう意味では日本の学校教育は果てしなく失敗だと思いますが、まあこれは専門家達に議論させておきましょう。僕は大人しく普遍化の名の下に圧迫されていますよ。

今は性意識に対しても寛容ですからね。昔を知らないのでよくはわからないので言及しませんが、今の方が流石にそこは幸せなんじゃないんでしょうか。発達障害とかもそうですかね。まあこれに対しては未だに根強い差別的意識が残っていると思いますが。「そう言って自分ができないだけじゃないの?」ってセリフがいつか消える日が来るといいですね。「これただ苦手なだけです」が消えることはないと思いますけど。

僕個人としては本当に障害持ちも無しも平等に扱われればいいと思うんですけどね。そうなれば障害者が自分の状態にかこつけて犯罪起こして被害者が泣き寝入り、なんてこともなくなるだろうし。無意識の差別を取り除ければいいんですけど、これが一番難しい。僕も日々格闘してます。

 

このままだと話が無限に横道にそれ続けてしまうので本題に行きましょうか。

僕は……まあTwitterはともかく、リアルだとよく「個性的だね〜」などとよく言われます。僕自身その意識は全くなく、また自己を見つめるのが非常に苦手(何考えてもナルシズムの延長線上なんじゃないかと思ってしまう)で、おかげさまで自己評価を他人に頼りきっている現状がありまして。学校の課題の「自分の良いところと悪いところをあげてみよう」系の課題が死ぬほど苦手です。

まあそんなクソザコ自己評価人間の僕なんですが、それでも「全面見たわけじゃねーのになんでてめーが勝手に俺を評価すんだよクソが」と思うことがあるわけでして。まあそんなこと言っても周囲はこっちのいうことを一ミリも理解しない猿の集団なのでいうだけ無駄だなと最近は諦めていますが。

こういう集団の圧力に対して抵抗するもしないも自由なのですが、僕は空気が読めないとよく言われるので対抗するんですが、まあまあ相手方の言葉の通じないこと通じないこと。相手はこっちの言いたいこと、伝えたいこと、実行してほしいことを一ミリたりとも理解せずに返事してますし、事実何言っても実行しません。こっちが「嫌だ」と言っても馬鹿は「はいはいw」と言って明日も明後日も同じことしてくるだけです。

これに対して最も効果的なのは、「環境を変える」即ち引越しなのですが、いかんせん馬鹿というものはどこにでもいるもので、当たりを引けることはそうそうありません。『HUGっと!プリキュア』みたいな「いじめから逃げて良い友人に出会う」なんてことはリアルにはありませんわ。思わずお嬢様口調になってしまいましたがこれはこれで面白いと思うので残しておきますが、まあ出会えた人は幸せになってください、あなたは恵まれています。

 

次に有効なのは無になることなんですが、それやってたら大抵心が壊れるか死ぬかどっちかなので現実的ではありません。人間はポリス的動物なので、繋がりがなければ緩やかに死に向かうだけです。本が友達、なんていうのはどこかで繋がっている人間のセリフで、本当に孤独な人間は本を投げてますからね。嘘ですが。

 

本当に横道に逸れてそのまま対面事故を起こしかねないので無理矢理終わらせにかかりますが、詰まる所この文章を読んでいる、おそらく僕がターゲット層として定めた人の持つ「僕は本当にそう言われるような人間なんだろうか、本当にそうなんだろうか」という思いは、おおよそ正しい感情です。本当の自分というのは、他人に定義させるものではありません。どれだけ辛い作業になっても、自己は自身で定義しなくてはなりません。その過程で、尊敬する作家やら、信奉する作品やらに出会ってそれを拠り所にするのは良いですが、最終的にはそれを利用して自己のアイデンティティを確立しなくてはならない時期がきます。

自己診断、なんかもいいですが、それに頼りすぎるのはあまりよろしくないかもしれません。最後に自分を決めるのは自分なので。まあ押しつぶされない程度に自己と周囲と向き合ってください。最悪何も考えなくても幸せにはなれますから。

 

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

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光の手―自己変革への旅〈上〉

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自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント
 

 

炎上しないといいな……とは毎日思ってます(じゃあ書くなや)。