アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『ミスター・ガラス』感想─ヒーローはいるのか、その結末に驚嘆する名作。

実は『スプリット』未履修の状態で観に行ったんですよ。『ミスター・ガラス』。

ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン8 ミスター・ガラス 光沢プリント

それでもこれだけ満足できたので、いつかちゃんと『スプリット』を観た上で観たいですね。

※ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

アンブレイカブル』と『スプリット』と世界観を共有する作品である『ミスター・ガラス』。今作では、前二作を承けて繰り広げられる、「スーパーヒーローは実在するのか?」というテーマのもとストーリーが進行していきます。

タイトルからも想像つくと思いますが、今作では「ミスターガラス」ことイライジャが再びキーキャラになっています。

中盤まではただの廃人といったところですが、PV等でも印象的な四者面談のシーンを契機に、イライジャは動きだします。

「知能のヴィラン」という形容が相応しいほど、彼は狡猾に行動します。

まずは"群れ"こと多重人格者のケヴィン(僕は前述の通りスプリット未履修なので、このキャラのことはあまりよく知りませんが……)接触し、ビーストの人格を引き出して思い通りに操ることに成功。

そしてここで矯正器(?)に細工し、あえて捕まることで相手を油断させます。余談ですが、あそこのイライジャはかなり笑えます。

そして翌日、全く矯正されていないイライジャは警備員を殺しケヴィンを逃がし、デイビッドに告げます。「私を止めたければそのドアを破れ」と……。

その後の展開は、テンプレのようなヒーローものを踏襲していると思います。まあ『アンブレイカブル』の時も思いましたけど、アクション的な魅力はないに等しいです。

衝撃的なのはその後で、なんとケヴィンの父を殺したのはイライジャだったのです。劇中でも言っていた通り、「味方だと思っていたものが敵になる」ヒーローものに限らずよくある展開です。正直ここまでは読めます。

もうここら辺から逆転に次ぐ逆転で、正直言って呆然とします。

三つ葉のクローバーの組織(仮称)」の暗躍によって、デイビッドとケヴィンは殺されてしまいます。

彼等の目的は「均衡を保つこと」。何処かで聞いたような目的ですね。

しかし、そこからがこの映画の真骨頂。

真に賢しい悪は、策を二重三重に張り巡らし真の目的から遠ざけるもの。

イライジャも例に漏れず、真の目的は別のところにありました。

その目的とは、「公に超能力を知らしめる」こと。この場合の超能力とは、文字通りの意味を指します。つまり、サイコキネシス的なものではなく、文字通りのスーパーパワーということです。

それに気づいたエリー先生が、イライジャの計画の要であるカメラ越しに絶叫するシーンは必見。

物語のラストは、スーパーパワーは誰にでもありうる、スーパーヒーローは誰にでもなりうると言う、とても普遍的なメッセージを発して幕を閉じます。

このメッセージの説得力を増しているのは、やはりイライジャの存在です。

彼は正に先天的な障害で、ガラスの身体であることを強いられてきたマイノリティ(=四つ葉)です。そんな彼が、スーパーヒーローはと言う存在を実現させることを生きがいにしてきた彼が、死の間際に用無しではなかったとつぶやいた。つまり、今まで、それこそガラス越しにマジョリティ(=三つ葉)を眺めるしかできなかった彼が、ヴィランとして初めて勝利した、記念すべき瞬間だったのです。

ヒーローを世にあらしめるために生きてきたヴィラン、ミスターガラスが、自らの死と引き換えにその目的を果たし、マジョリティに位置する三つ葉のクローバー組織に勝利し、意趣返しを果たすと言うのが、この映画の結末です。つまり、『アベンジャーズ:インフィニティウォー』です。嘘です。

変化球を投げていたようで、実は純粋なヴィランの活躍を描くヒーロー映画であった『ミスター・ガラス』。今度は『スプリット』を観た上できちんと観たいです。