アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『グレイテスト・ショーマン』の冒頭で泣いた話

*ネタバレ注意!

あれは今年の6月24日のことだった。

 

それ以前、僕はたまたまユナイテッド・シネマグループのメールを見た時に書いてあった、グレイテスト・ショーマンIMAXリバイバル上映決定!の文字を見て、ちょうどいい機会だから見るか、と思ったのだ。

グレイテストショーマン、名前は知っていたけど、見たことのない映画だった。名作らしいということしか知らない。

僕は映画を見る時は必ず事前に席を取っておくタイプで、その時も3日前から席を取っておいた。

家を出るのが少し遅れて息を切らしながら座席に着いた。かなり前の方だったが、スクリーンを見上げない程度の位置。

初めてのIMAXということもあり、見知らぬ広告が流れていく。

そして最後に流れた広告が、IMAXの音響は凄いんですよ……という内容だった。

ふーん、そう、そんな風に思っていた僕は、次の瞬間その認識を改めることになる。

忘れもしない。

古めかしい20世紀フォックスのロゴが出てきて、コーラスが流れる。

英語でキャストの名前が出てきて、またコーラス。

最後にこの映画のタイトル、『THE GREATEST SHOWMAN』が表示される。コーラスが流れる。

そして画面は舞台のひな壇の裏側に移る。大勢の人がリズムを刻むために地面を踏む。

そして中央に一人の男が出てくる。ハットを被ったこと以外は、暗くてわからない。

その男はリリックを刻む。何を言っているかはわからないが、日本語字幕が出る。

やたらかっこいい渋声とポーズを取りながら、様々な人物やアイテムや動物が出てくる。それらは全てリズムに重なるよう計算されて動いている。

それを見ながら、歌が上手いとか、伴奏が凄いとか、撮影どれくらいかかったんだろうとか、取り留めのないことを考えていた。

やがてその歌がサビに入った時、僕は気づけば泣いていた。

重ねていうが、僕はこの映画を観るのは初めてだった。過去に何かしらの宣伝を見たことがあっても、正直覚えていないし、わからない。

それなのに、僕は生まれて初めて観た映画の冒頭のミュージカルシーンで泣いた。

訳がわからなかった。

それまで映像作品を見て泣いたことといえば、のび太のおばあちゃん関連とか、メビウスがインペライザーにやられた時とか、ポケモンレンジャーでゲームオーバーになった時や、フォーゼで賢吾が部員達に感謝の気持ちを記した手紙を読む時とか、とにかく物語の因果が一点に収束するシーンだ。

それは当然だろう。誰だって、見知らぬ誰かが夢を叶えたシーンをいきなり見せられても泣けはしないと思う。

でも、僕は泣いていた。

訳がわからないままそのミュージカルが終わり、僕の意識もまた映画に引き戻される。

映画自体は、冒頭の恋愛物語が急ぎ足過ぎるのを除けば大満足で、今年観た映画で一番だ、と観た後思ったほどだ。

閑話休題。この映画は評論家に酷評されているらしいというのをネットで検索して知った。

僕個人としては、この映画は確かに小難しいテーマや回りくどい表現によるわかりづらいテーマ表現、高尚な物語などは含まれていないと思う。

だがそれは、この映画を作っている人たちが一番わかっていたと思う。

だからこそ劇中でバーナム達のショーは否定され、バーナムもまた自分をただのショーマンと卑下する。

だからこそ、終盤全てが焼け落ちた劇場での批評家との対話シーンが大好きなのだが……彼の名前が思い出せない。

それはそれとして、この映画のテーマは人々の意識との戦い、だと思っている。

この映画は差別と戦う映画!という人もいるが、そんな難しいことではないと思う。

わかりやすく行けば、この映画で恋愛要素を一身に受けたフィリップとアンがわかりやすいと思う。

上流階級出身のフィリップと、奴隷身分の黒人のアン。この二人は当時の時代感から見て完全に釣り合わないだろう。

そこでフィリップが口にする、身分の差など関係ない、という言葉、そしてアンの拒絶が、この映画の伝えたいことを端的に表していると思う。

最初バーナム達を見下していた男が、やがて彼らを認め、そして立場などどうでもいい、ただ自分の心に従うようになる。両親や周囲の目も気にせず、黒人であるアンにアプローチする。しかしアンはそれを自分が差別を受けている下層の民だからと拒絶する。

フィリップは自分の意識を変えることに成功したが、アンは結局のところ、無意識のうちに自分は情けない人間だ、と擦り込んでしまっている。

もっと言えば、バーナム。彼は最初、自分とその家族のためにショーを始めた。世間から隠れるようにして生きていた人々を、言葉巧みに誘惑し、見世物小屋でいいように使ったのだ。

一応言っておくが、このバーナムが史実で何をしたか、等は考えていない。あくまで映画の中の話である。

所詮家族のための道具としかショー仲間を見ていなかったバーナムは、娘達のためにオペラに目をつける。

「オペラ」なら、娘達もバカにされない上流階級の仲間入りができる……そしてバーナムは失敗する。オペラ歌手のジェニーは、バーナムは私を見ていない、と言った。そしてショー仲間も疎んじた彼は一度全てを失うことになる。

家族のために始めたことによって、彼は家族から見捨てられた。それはひとえに、仲間達を仲間とも思っていない、無意識の差別にあったと思う。

バーナムは最初、ただ利用するためだけに仲間達を集めた。それこそ、口のうまいペテン師のように。

だからこそ失敗したが、バーナムはそこで自分の犯した間違いに気づくことができた。そしてラスト、フィリップにショーを任せ、娘のバレエを観に行くのだ。

これがかつてのバーナムであれば、都合よく利用しただけかもしれない。しかし今のバーナムは違う。心から信頼し、任せる。彼は意識を変えることに成功したのだ。

つまり、この映画は、無意識のうちに誰かを見下すことは、誰もが行なっているという普遍的なことを言っているのだ。だからこそ、誰もが誰かを尊重しなくてはならない、そう言っているように思った。少なくとも僕は。

 

The Greatest Show

The Greatest Show

  • provided courtesy of iTunes

 

本筋に戻る。楽曲『THE GREATEST SHOW』は、計3回、本編で流れる。冒頭と、中盤、そしてラスト。

結局僕はその全てで、泣いてしまった。

まあ単純に考えれば、初めて聴くIMAXの音質にやられたんじゃないかとも思うが、僕はもっと別のことなんじゃないか、そう考えた。

僕は漫画やアニメの、誰かの夢が叶うシーンが好きだ。その為に、その誰かが果てしなく苦労していたとなれば、もう極上の喜びになる。

グレイテスト・ショーマン冒頭のミュージカルシーンは結局のところ、少年だったバーナムの妄想だった。赤い布地を見て、自分が舞台に立っているのを想像する、貧しい少年。そんな彼が大成し、本物の舞台を──ややサーカスよりだが──興行する。この時点で泣ける。

そして映画のテンプレである、全てを失うシーン。観客はそれが劇的なほど、這い上がるのを期待する。

この映画はそれを期待以上のクオリティで見せてくれた。バーナムは仲間達との信頼を取り戻し、かつて実力のなかったフィリップはショーマンとして成功する。そしてバーナムは家族と共に過ごす……この映画としてはこれ以上ないほどのハッピーエンドだ。

僕はこの映画を見返す気が起きず、結局劇場で観たきりだ。

だから今、家のテレビで観てもなお、僕が泣くのかどうか、わからない。

それでも、あの時観たあの映画には、僕を泣かせるだけの熱量があり、制作者達の熱意があった。

それを受けたからこそ僕が泣いたのだと、僕は信じていたい。