アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『おまえをリコーダーで殴りたい』三部作感想─自我の獲得、そして復讐と、百合とのハイテンションな名作。

タイトルマジで意味わからない状態で書いてるけどこれは極まってますね。

 

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さて、僕のツイッターを見てる人(いるのか?)ならお分かりかと思いますが、僕のツイートに度々出てくる『おまえをリコーダーで殴りたい』。それは同人誌の名前で、僕にとっての聖書、聖典でもあります。先日の北ティア10で色々と人生の決着がついたりつかなかったりしてここまで来ましたが(あれからまだ一月もたってない信じられない)感想を……書いていきます。

*ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『1』

実はこれは自慢なんですが、作者よりも先に『おまえをリコーダーで殴りたい』を紙の本で読んでいます。まあ自慢はこれぐらいにして感想を書いていきましょう。

皆さんにも人生を変えた一冊というものがあるでしょうが、僕にとってはこの作品がそうです。人生は巡り合わせと言いますが、TwitterでTLに流れてきたこの作品を目にした時から僕の人生は変わり始めたのです。

百合に飢えていた(嘘。金が無かっただけ)当時尋常でなく顔が良い女が出てくる漫画を見かけ、しかも地元でやってる即売会に売りに出るとなるとまあ手に入れない選択肢はなく。読んだ時が転換点。

 

本作はおまリコ三部作の一作目で、僕がわかりやすく一番好きな作品です。

岬ちゃんが自我を獲得するまでを描いた作品で、彼女が自我を獲得するためには過去を捨てる……否、過去を受け入れなければならなかったんですね。劇中の言葉を借りれば「清算」。この過去の清算という要素が後でも活きてくるんですがそれはまた後ほど。

この作品においてチューリップは重要なファクターです。主に野花周りにおける重要性なんですが。このチューリップの色が何か、にもよりますが、表紙を参照すると真っ赤なので本編でも真っ赤ということにします。違ったらごめんなさい。で、赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」とか「真実の愛」とかなんですよ。チューリップ自体は「思いやり」。で、これと野花の描写を合わせると、はっきりと明言はされてないけど野花が"ガチ"であることがわかるわけです。まあそもそもこの作品のジャンルは……という話なんですが。20、21ページに関しては芸術だと思っています。

思い出巡りをした後の岬ちゃんの「強固な何かを持ち続けること」云々の発言、今から思うと相当な伏線というか、巡り巡って野花にとって重要な要素となってるのが非常に面白い。この話は『3』の項で。岬ちゃんは岬ちゃんでこの要素をより昇華させて消化することになるのですが。この話は『2』の項で。

その後の展開は言わずもがな復讐なわけなんですが、初期構想から(あとがきに載ってます)外舘くんにリコーダーをぶっさそうとしていたことが伺えるのは何故復讐が不発に終わったのか考える上で重要な情報です。

確かに、岬ちゃんがリコーダーでぶん殴れば話は早かったんですよ。しかし、そうは問屋が卸さない。それは救済かもしれないが、結局歪んだままの救済だからです。結局外舘くんが先に謝ることによって岬ちゃんの復讐は不発に終わりましたが、それがある意味で正しい形の救済だったんです。歪みは是正されなければならないように、岬ちゃんが抱えていた歪みもまた、一度吐き出されて是正されなければいけなかった。そのトリガーとなったのが、先に物心を獲得していた外舘くんによる謝罪。外舘くんは歪みを是正……とまでは行かなくても、折り合いをつけるすべを身につけていました。あらゆる感情が詰まったリコーダーは、感情の発生元である外舘くん本人によって清算されました。これによって岬ちゃんが物心を獲得する条件は揃ったわけです。これは女と女が始まるための物語なので、復讐が不発に終わるんですね。

などとまあ書いてる本人すらよくわかってないことを書き連ねてきましたが要するに面白かったということです。

まあ単純に作画が非常に素晴らしいので難しいことを考えなくても読めると思います。それとキャラが非常に良いです。当然の話ですが……。

最後に一つ……ペーパーもらい忘れたのは一生の後悔です。

 

『2』

満を辞しての続編。個人的には『ボーダーライン』が急に三部作になったのでキレ散らかしていたので『おまリコ』までも……という気分になってなくはなかったです。面白かったのでOKです!という話なんですが。

やはり最大の見所は箕田バース(注・筆者が個人的に呼んでいる『おまリコ』作者、箕田さんによる作品群のこと。それぞれにゆるい繋がりがある)最強キャラ安達藍子ですね。物理的に物事を頭一つ上から眺めているというビジュアル的にわかりやすいメタファー。

『2』は『1』において岬ちゃんが物心を獲得もとい黒歴史清算したことによる野花への影響がメインとなっています。つまりは「始まった後」の話と言い換えてもいいかもしれません。

前作では控えめだった(隠す気は無かった)百合要素が前面に押し出てきていて、野花が岬ちゃんを好きだということが初めて明言されました。つまり百合です。

さて、『2』は実質的に前半と後半で別の話になっていて、前半は実質「1.5」的な話となっています。外舘くんと岬ちゃんの話の完結編かつ、外舘くんの補完の一面があります。

この外舘くんパートマジで驚かされて、単純に「もうこいつ出ないだろ……」と思っていたので出番があって驚いたと同時に、シンプルにその内容のえげつなさというか……えぐり方というか……まあそういう話です。

外舘くんは、しょうもない罪に延々と悩まされてきたという立ち位置のキャラクターです。そんな彼が一体いつ罪を自覚したのか、つまり──自我を獲得したのか。彼は自我を獲得したことにより「悩み」を手に入れました。それは確かに辛いことかもしれませんが、前に進むために必要な要素ではあります。自覚した罪の重さは、周りから見ればしょうもないかもしれない。が、彼は彼の強度でその罪と一生かけて向き合っていくことを決めたわけです。

ラスト、彼のこの作品での行く末を暗示するかのようなシーンで出番は終了します。あの一覧のページは、背景等の要素がごっそりと欠落しています。主に光の話です。夜のシーンから一気に転換するんですよ。これには意味があると思っていて、彼は影になっているんですね。彼は光の中に消えていくんですよ。この物語において外舘くんの出る余地はもうないかもしれない。けれど、彼の行く末はきっと祝福されたものなのでしょう。少なくとも、そうであることを祈りましょう。彼は、自我を獲得することに成功したのですから。後いい人ですしね。性的嗜好に関してちゃんとしてる人はいい人。

ところで、『2』は実質野花の物語でもあります。アニメや漫画でよくある、人気のサブキャラが主役になる番外編みたいなものですね(?)。野花に関してはその顔の良さが遺憾なく発揮されているので好きなシーンしかないので、やはりここであげておきたいのは18ページの野花と30から31ページにかけての野花です。18ページは僕が生原稿販売で買おうと思ったら既に売り切れだった言わずもがな人気シーンのページ(買った人是非とも僕に連絡してください。仲良くなりましょう)で、30、31ページは表情の変遷が(あれ多分狙ってる?)非常に面白い一コマ(性格には四コマ)です。

真面目な話をすると、『2』は言ってしまえば繋ぎの話──例えるなら『帝国の逆襲』、『ソルジャーズデイ』(『ボーダーライン』が三部作になったの許してないからな)のような──です。なので話が大きく動くので、案外一番名作は誰か聞かれると多分『2」と答えるんじゃないかなと思うんですが(「好きなの」と「いいの」は別の話)実際それだけ良いんですよ。

本作では野花が岬ちゃんに告白するに至るまでが丁寧に描かれます。外舘くんとの飲み会シーンから始まり……あのセリフは本当に衝撃だった。僕の中での野花観が揺らぐほどの衝撃を受けました。そして『2』では、あの最強キャラ安達愛子と出会ったことにより、彼女自身のアイデンティティが大きく揺さぶられることになります。藍子初登場シーンは芸術だと思っています。このシーンのページを買った人も僕にご一報お願いします。

で、野花が揺らがされるのは岬ちゃんに対する想い。野花は待っているのが好きだったのですが、藍子はそこを揺さぶりに行ったわけです。おそらく心底面白がりながら。

個人的に野花のキャラ造形がヤンデレに突っ込んでないの結構奇跡的なバランス感覚だなと思っていて、それは本人が無自覚で「積極的なアクションを取らなかったこと」に対して罪悪感を感じていた(それを藍子に自覚させられた)からなんですね。まあでもぶっちゃけ「十年と三ヶ月と十日ぶり」の発言から鑑みるにキャラのブレは発生してたっぽいですが……。や、でもあの位置に落ち着いたのは本当に良かったですよ。安易なヤンキャラじゃなくなったのは本当に……。

この記事において話がぶれてないことがないので今更ですが話を戻します。閑話休題というやつです。

野花は藍子によってその心の内を揺さぶられます(「行動をすれば真理も動く現象が面白い」は至言です)。そしてそれを克服するのもまた岬ちゃんによってなんですよね。つまり、のちの話につながるので詳しくは言えないのですが、藍子という舞台装置によって動かされた野花は、岬ちゃんによって救済を得るわけです。その過程における岬ちゃんの自我獲得の述懐が、外舘くんのそれと似通っているのがなんとも面白いのですが、おそらくこの世界の自我獲得のシーケンスは同様のものなんでしょう。

そして野花は「他者の介入を許すことない自分だけの領域」と言った趣のものを自覚した結果岬ちゃんに告白するわけです。やば〜と言いながら読んでいたのが今でも思い出されます。やばいでしょ。

『2』の面白い点はリコーダーという依り代が無くとも、「殴る側」「殴られる側」の構図がちゃんと成立してるという点です。言ってみれば何故岬ちゃんが外舘くんを殴りに行ったのか、を野花と藍子という関係性で再演しているんですね。が、舞台に二つと同じものがないように、それはただの再演ではない。きちんとのちの布石となっているのです。「間」の作品に求められるのは前作を受けての変化を描く技術と、「終わらせない」技術だと個人的には思っているのですが、『おまリコ2』はそこが非常に素晴らしかったです。

安達藍子という女も非常に良かったですね。背の高い最強女というキャラだけでも最高なのですが、その立ち回りがマジで……終始狂言回しに徹底しているのですがそれでもなお物語に影を落としている(52ページとかなんなんだあれ。ラスボスか?)のが最強たる所以かなと……。個人的なお気に入りシーンに藍子が岬ちゃんのことを延々と語るシーンがあって(コーヒーの減りで時間経過を演出する)、あとはラストページなんですよ。ラストページを買った人も僕にご一報お願い……します。

 

個人的には『2』は唯一現地で手に入れられなかった作品なのでその分様々な感情が乗っかってしまいます。まあ総評としては面白かったの一言に尽きるんですが。

 

『3』

満を持しての完結編。正直言ってまだこう、完結したと言う事実に対して僕の感情が全く整理しきれていないので、まとまった文章(上もまとまってるとは言い難いが)が書けるとは思わないのですが、まあぼちぼち……あと半年もしたらまともに向き合えるんじゃないかな。

『3』は女女女温泉旅行編。が、開始早々安達藍子は別部屋行きます。そう、物語に絡みません。そんなことある?まあ藍子は全方位面白がり最強女なので……(?)。しかし、この行動も、藍子の表情等から理由はしっかりと読み取れます。読んだ人なら当然理解していると思いますが……藍子はただの面白がり女ではないと言うことですね。存外ちゃんと客観視もできていますし。野花にお礼を言われて普通に驚き気味だったのはこっちが驚きましたよ。この女にも想定外とかあるんだ、って言う。

オーバー気味にその話をしてしまったのでそこに繋げますが今作は『2』から脈々と続く藍子と野花の「殴りたい」「殴られる」関係の完結でもあります。先述した通り藍子と野花の関係は、岬ちゃんと外舘くん(本当に変換が面倒くさいことを除けば最良の人物)の関係性の再演になっています。野花の個人的な領域の「侵食」、破壊、そしてその再生、救済……ほとんど同じように見えて、実は一つだけ違ってくる部分があります。安達藍子は救済されていないのです。では誰が救済されたのか?それはみなさんお分かりのはず。そう、三枝野花てす。

野花は──嘘予告でずばり書かれていた──自分に呪いをかけていたようなものです。個人の幸せなんて誰かがつっこむのものでもなく、また誰かに定義されるものでもありませんが、野花は藍子による揺さぶりで、無意識のうちに──それこそ「自我の獲得」によって──自分自身の巨大感情が本質、本当、本物ではないのではないかと言う疑惑に駆られます。それは岬ちゃんの言葉によって結果として自己の強度によって保たれた、つまり真実になりました。

それはそれとして自分自身の定義を破壊しようとした藍子に対して、野花は復讐しようと、別に思ったりはしてないですが、少なからずそれに近い感情は抱いていたと思います。それが露天風呂での氷タオルで殴るシーンであり、不発に終わった復讐の形です。野花は藍子によって「自我の獲得」というイニシエーションを無理矢理体験させられたのです。それはあの「そういうの遅い」というセリフから読み取ることができます。

藍子が「岬と外舘くんの間には入り込めないものがある」と言ったことを言いますが、それはこの二人にも当てはまる話で、これはラストシーンにも現れています。まあこれに関しては最後の方で……。

そして岬ちゃんの一人風呂(顔を温泉で洗うな)(覚悟を決めたシーン……)、三人の会食シーン(足の置き方一つでも大きな意味がある……)を挟んで岬ちゃんと野花のヘッドオンシーンに入ります。本作屈指の見せ場。

もうここに関しては思いが万感すぎて冷静に語るのは不可能なので書き散らしていきます。序盤に藍子が発した

「主役でいなよ」

というセリフ。これは回り回って野花からも形を変えて出てきます。『2』で藍子が

「不在の岬に引き合わされた気がする」

といっていたようにこの作品は岬ちゃんが主人公であることがこれでもかと強調されています。藍子と野花の邂逅も岬ちゃんが原因であるし、そもそも野花が外舘くんと引き合ったもの岬ちゃんが原因です。野花が主体で動いているように見えて、その実岬ちゃんが配置した布石を辿っているわけです。岬ちゃん自身は全く自覚無いですが。『シュタインズゲート』における岡部倫太郎の行動が、あらゆる帰結を招いたように、岬ちゃんの行動が、『おまえをリコーダーで殴りたい』におけるあらゆる帰結を招いているのです。

藍子によって引き起こされた野花の自我の獲得も、巡り巡れば岬ちゃんによるもの。正しく因果応報。野花が得た「自分の感情は自分だけのものである」という結論と併せて、野花は自分に岬ちゃんが必要である=触れたいというあれでしたという帰結なんですね。

対する岬ちゃんのムーブがま〜〜〜〜〜〜〜〜〜じで童貞かよっていう。ひたすらにぐだついている。こいつがもうちょっと甲斐性あったらもっと早く完結してたんじゃないかと思いながら、それでも岬ちゃんが主人公でなければこの物語はなかったので難しいところです。

相手がどう思おうが関係ないという姿勢で自身の感情を伝える行為は暴力と変わらないのではと思うんだけど

非常に個人的に耳が痛いんですが、まあそれはそれとしてこのセリフは最後の最後に二人の関係性に大きな意味を与えてきます。つまり、野花の行為は暴力と変わらない=野花は今岬ちゃんを殴ろうとしている、ということです。それは野花による、岬ちゃんへのささやかな復讐だったのか。それは誰にもわかりませんが、少なくとも野花が放った殴りは岬ちゃんのカウンターによって不発に終わります。最後まで殴り殴られという関係性を描き切ったわけです。これにはもう感服で、脱帽です。

まあ正確には最後じゃないですけど。「面倒くさい女女のノリ」に飽きた作者により藍子の一人酒と、唐突に挟まれた北海道のページを間に入れつつ(あの唐突、本当に何?)(あれのおかげで『1』の舞台が留萌だとわかった……)ラストの……なんなんでしょうかねあれ。告白ちゃうし、いちゃついてると言えばそうだけどそう簡単なシーンでもなく……岬ちゃんのように言語化に難しい(一緒じゃねぇだろ)のでうまい言及ができない。でも野花の「バカ」は本当に……言えてよかったんじゃないかと思っています。

一晩たち。藍子は相変わらず全てを面白がっていますが、一つ違うのは色々進展した……した?のと、藍子と野花に「岬ちゃんにはわからない文脈」が生まれたこと。行きとは対照的に野花と藍子が同席し、岬ちゃんが一人で座る帰り道。何もかもが「あの時」と対照的な列車に揺られながら、岬ちゃんは窓を見ます。そこに映っていたものは……という話なんですよ。

自我を獲得した岬ちゃんが最後に笑って終わるのが本当に良くて、いろんな含みを持たせている素晴らしいラストだと思います。僕自身あのシーンに関して色々と考えていますが、ここにはあえて書かないでおきます。もっとちゃんとした「答え」が得られた時にちゃんと書こうかと。その時がいつかはわかりませんが。

 

正直一番インパクトがあったのは嘘予告ですね。あんなギャグ調で"""ガチ"""な内容を描かれたらそりゃ死にますよ。

 

まとめ

長々と書き散らしてきましたが、この文章にも終わりが来ました。おそらく、一つの話題に対しては最長になったのではないかなと。

『おまえをリコーダーで殴りたい』は、本当に僕の自我の獲得の原因になった作品の一つで、非常に思い入れの強い作品なので、感想記事を書くのにも一苦労しました。正直、これでいいのか?という思いがないわけではないですが、まあ後になって読み返した時に「こいつバカ言ってんの〜」と笑うのも悪くないなぁと思いとりあえず今の時点での僕の解釈、感想を残しておきます。

安達藍子という女、めちゃくちゃに好きですね。そもそも『おまリコ』の女達はみんな好きですが。作中で様々なカプの形を自ら提示してきたのはありがたいですね。色々と……。

最後に。全人類が読むべき本とは、この『おまえをリコーダーで殴りたい』シリーズであるので、リンクを貼っておきます。

 

 

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