アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『ボーダーライン』感想─観客に問いかける善悪の彼岸

僕は普段わかりやすいドエンターテイメントタイプの映画しか観ないんですが、たまーにわかりづらい、所謂シネフィル的な映画も観たくなることが最近あります。具体的に言うと『2001年宇宙の旅』を観てからなんですが。

ボーダーライン(字幕版)

『ボーダーライン』もそんなわかりづらいタイプの映画でしたね。そんなこと言ってると、それこそ復讐されそうな気もしますが……。

※ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

とまあ、上に書いたようにまず第一にわかりづらい映画だな、と思いましたね。ただまあ、それは映画のテーマ的なものを考えると仕方ないのかな、とも。

作品的な主人公はケイトですが、ストーリー的な主人公は完全にアレハンドロです。原題の『Sicario』もそれを表しています。

この作品には家族(元含め)が多く出てきますが、やはり印象的なのは3人の家族でしょう。まずアレハンドロ。彼の家族は、既に死んでいる訳ですが……。そしてシルヴィオ。彼は息子とサッカーをよくする良き父親の面が描かれています。最後にファウスト・アラルコン。麻薬カルテルトップ3の彼もまた、家族をもつ一個人であるというのが描かれます。

日本版タイトルのボーダーライン、正直ミスリードというか、ズレてないか?とも思ったんですが、色々と考えたりネットの海を検索したりして僕なりの納得を得ました。

ボーダーライン……境界線や、国境といった意味の言葉ですが、まさに本作はその「境界線」がテーマの作品だと感じました。単純に平和なアメリカと危険なメキシコとか、簡単に銃をぶっ放す部隊の人とか、明るいところから暗いところへとか、生きてる家族と死んでる家族とか。観客は主にケイトの視点から、それらの境界線を観測していくことになります。

アレハンドロが実質主役なのは既に述べていますが、それはテーマ的にも当てはまるでしょう。彼は家族を殺され、復讐のために動きます。それは善なのか?悪なのか?誰にもわからない。警官のシルヴィオは、家族にとってはいい父親ですが、俯瞰した立場から見ればただの汚職警官です。だからといって無慈悲に殺していいのか?それもわからない。ファウスト・アラルコンは麻薬カルテルのトップ3の立場であり、多くの「家族」を殺しています。しかしそれは個人的な恨みではなく、仕方のないこと。だからといってそれは正しいのか?それもわからない。アレハンドロがアラルコンの家族を復讐のために殺すのは正しいのか?そんなことは、誰にもわかりはしないことです。

ネット上の感想にもありましたが、この作品は主人公が全くといっていいほどいい点がありません。最初っから最後まで敵味方の両方に翻弄され、最後には圧倒的な暴力の前に屈してしまいます。それは正しかったのか?例え死ぬことになっても暴力の前に立ち向かっていけばよかったのか?判りません。ラスト、ケイトはアレハンドロを撃つべきだったのか。それは、誰にも判りません。きっと脚本家や監督ですら判っていないのでしょう。いや、判っているからこそのこの脚本か?

どちらにせよ、この作品は「境界線」というものを考えさせるのに十分すぎるほどの役割を果たしています。

善悪はどこにあるのか。その答えが出れば、この映画のことももっとわかるのでしょうか。それは、誰にも判りません。

 

Sicario (Original Motion Picture Soundtrack)

Sicario (Original Motion Picture Soundtrack)