アクト-レヴュードライブ

備忘録的なものです。

『やがて君になる』七海燈子の持つコンプレックスについて。

やがて君になる(3) (電撃コミックスNEXT)

突然ですが、僕には兄が一人います。

今もまあ、兄とは普通に良好な関係を維持していると言えるでしょう。

さて、皆さんはアニメ『やがて君になる』、見ましたでしょうか。僕は見ましたが……。

※ネタバレ注意!

 

 

 

原作の補完は上手でしたね。はい。本編は……僕は何も言いません。

さて、やが君の主役格は二人います。そう、「七海燈子」と「小糸侑」です。色は適当です。

僕はやが君で特に好きなキャラは七海燈子なんですが、その理由はやたらとリアルなシスコンっぷりなんですよね

この場合のコンプレックスは、「劣等複合」を指します。

そして七海燈子は、姉に対する、まさしくコンプレックスな感情を持つキャラとして描かれます。

姉のようになりたい、姉じゃない自分など存在価値はない。

姉に対する羨望、憧れ、嫉妬、好意。

それら全てを複合して、七海燈子は皆の前に立っているわけです。

これは思春期の弟妹の描写においてすごくリアルで、特に七海燈子の場合、『自分』を確立する前に優秀な(別に優秀じゃなくてもいいけど)上がいなくなってしまったことで、周囲からの圧力もあって自己否定に走ってしまいます。人は誰でもペルソナを使い分けているという当たり前の事実すら気付かずに。

七海燈子の姉、「七海澪」は、妹の前(おそらく親類や一般生徒の前でも)では、完璧で成績優秀な生徒会長として、生徒会ではどこか抜けた、しかし決めるとこでは決める憎めない生徒会長として振舞っています。燈子も述べていたように、あるいは未だ知らぬペルソナ、仮面があるかもしれません。ですがそれは侑が述べたように当たり前のことで、誰にでも多かれ少なかれあることです。僕だってそうです。これを読んでる人が……どうかは知りませんが。

ですが七海燈子は、そこから目を背けることを選びます。自分にとって都合の良い、優しい選択肢です。悪く言えば逃げです。

姉には自分の知らない側面がある、だけど自分は姉の尊敬できる仮面を模して被り続けたい。

そんな感情だと、僕は解釈しました。

ところで、これは自分語りになるんですけど、僕にも兄がいることは上でも述べたように、僕にとっても兄はコンプレックスな感情を抱く相手です。

万が一にでも読まれたら地獄なんですが、子供の頃、僕にとって兄は憧れの存在でした。自分よりも色んなことを知っている、自分よりもデュエマが強い、自分よりもゲームがうまい、恋人がいる。

子供の頃は兄のようになりたい、そう常々思っていたものです。

ですが、最近はさすがにそうは思いません。たしかに兄はいい人ですが、それはそれ。僕は僕ですから。

この自分は自分という感情、すなわち自我は意外と兄弟姉妹の下は形成することが難しいものです。僕も兄を早くに亡くしていたら、ここまで自分というものを強く持てていたか、自信がないです。それだけ、幼少期、第一次成長期、第一次思春期は上の兄弟姉妹に対して強い憧れや羨望を持つのです。

どれだけ自分が親親類から寵愛を受けたところで、既に評価され愛されている上の存在がいる。しかも自分よりも優秀であった、あると来れば、下の子のプレッシャーは凄まじいものです。

特に七海燈子の場合、優秀な姉がいる、ということがどれだけ負担になったか、僕には想像もできません。常に自分が成すことすることがあなた比較され、評価される。それがどれだけのストレスになるのか、僕には少しはわかります。同じ経験があるので……。

そんな七海燈子が、自己の確立、というシーケンスを経由しないまま姉を無くせばどうなるか。必要以上の神格化、依存。そして歪んだ憧れ。それら全てが、自己を否定し、姉を肯定する材料です。

そして結果として、自分を嫌いになる。姉に比べて、なんと愚かで駄目なのか、と。まあ流石にここまでは言ってませんが……。

そんな七海燈子が作中で見せるムーブはこの畜生以外の感想は浮かびませんが。

七海燈子を見てわかることは、兄弟姉妹仲は良好に、ということですね。あと周囲の人間はいつも無自覚な悪なんですよ。

ま、僕があーだこーだ語ったところでどうしようもないので皆さん見てください。できれば原作で……。